コントロールすることは愛ではない
こんにちは、
ドクターかよです。
昨日のADHDのブログに
メッセージをいただきました。
「自分はADHDだけれども、
特性を生かして仕事にしている。」
という内容でした。
特性を強みにできるって
素敵だなと思いました❤️
さて、
今日のブログです。
私は思春期のお子さんとお母さんの
カウンセリングもしています。
親子を診察して思うのは、
お母さんがお子さんを
見張ることで
トラブルが起きているということ。
なぜお母さんは見張るのか。
自分がコントロールされて
育ったから、
子供もコントロールしたいからです。
私はお母さんとお子さん、
別々にカウンセリングしています。
見張られているお子さんは
カウンセリングでも口数が少ない。
思っていることを
言わない。
お母さんがすべて決めているので
自分の意見がない。
お子さんの後ろには
母親が見え隠れする。
お母さんをカウンセリングすると
怒涛のように
お子さんの文句を言う。
「バランスの取れた
食事を摂らない。」
「お風呂上がりに髪を乾かさない。」
いやいやほっときゃいいじゃん。
私は繰り返し
「ほっときましょうよ。」
と言いますが、
お母さんたちはほっとけない。
なぜか。
自分自身も
見張られて育ったから。
親の考えは世代を超えて
連鎖する。
つまり
コントロールすることが
愛だと思っている。
それは愛ではない。
過干渉。
お母さんの
「ほら、
あなた1人じゃ
何もできないんだから。
あなたには私が必要でしょ。
私のおかげでしょ。」
が見え隠れする。
私はお母さんに
「見張るのをやめても、
つまりコントロールをやめても
子供を愛していないことには
ならないですよ。
むしろ、
子供の存在自体を認めるので
深い愛ですよ。」
と伝えている。
お子さんたちには
「あなたはどうしたいの?」
と、意見を聞く。
最初は何も出てこない。
でも、
問いかけられると答えを探す。
自分の気持ちが出てくる。
出てきても
自分の口でお母さんに言えない。
私が代弁する。
いずれ
代弁する必要もなくなる。
自分で自分の気持ちを
お母さんに伝えれるようになる。
大きな一歩。
子どもを
自分の言う通りにしたかった
お母さんが
「子供は何と言っていましたか?
子供のやりたいことを
応援します。」
と言ったときには驚いた。
コントロールを手放した関係性は
安定している。
誰しも根底に愛がある。
でも、見張るのは愛ではなく
コントロール。
コントロールを手放すと
双方が精神的に自立する。
私はそこを目指している。
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