ニューヨーク、そして



こんにちは、

精神科医の諸藤えみりです。




友人宅に辿り着き

おしゃべりしていると

かかってきた1本の電話。


ニューヨークの友人の、

日本にいる父親からだった。




場を離れる友人。

待っていると、

泣き腫らした目で友人が帰ってきた。


「母が倒れた。」



わたしはすぐに言う。

「今すぐ日本に帰ったほうがいい。」




ハッとして、

帰国の準備をし始める友人。

ビザの確認や

職場に帰国の電話を入れる。




わたしの選択肢は3つ。


①ニューヨークに残り、

ホテルを取って観光を続ける。

②メーリーランドの友人宅に行く。

③彼女と一緒に帰国する。


まずは②を考えた。

メーリーランドは

マンハッタンから電車で3時間。

電車のチケットを調べる。


帰りの飛行機を

早い日に変えれないか調べる。




そうするうちに、

訃報が届いた。


生来健康だった友人の母。


たとえば

もっと高齢だったり、

入退院を繰り返している状況

だったりしたら

受け入れられたかもしれない。


でも、

何の前触れもなく

もう二度と会えなくなるなんて

わたしだったら耐えられない。




友人は号泣している。


わたしは腹を括る。


「ごめん、

○○ちゃん(メーリーランドの友人)。

お家に誘ってくれたんだけど、

わたし、△△ちゃんと一緒に

日本に帰るわ。」





母親の存在は大きい。


わたしが逆の立場なら、

誰かそばにいてほしい。



ニューヨークの友人は泣きながら

「ありがとう。」

と言ってくれた。



帰りのフライトは変更できなかった。

そのフライトは捨てる。


1番早く帰国する便を探し、

新しく予約する。


帰国の準備をして

すぐに家を出る。



サンフランシスコまで

6時間のフライト。

10時間のトランジット。

そこから羽田まで11時間。

羽田から地元の空港に乗り継ぐ。

さらに車で1時間。


約40時間かけて、

無事彼女を家まで送り届けた。





ニューヨークには

4時間しかいられなかった。


でも、

涙を堪えきれない彼女を見ると

一緒に帰って良かった、

この選択で良かった

と思う。



わたしは彼女の心から

悲しみを取り除くことはできない。


でも、

そばにいることはできる。

悲しみに寄り添うことはできる。






ニューヨークにはまた行けばいい。





メーリーランドの友人は、

本当は別の日に

ニューヨークに来る予定だった。


急遽

わたしが渡米する22日に変更した。


22日に3人が集まる。

その日に日本からの知らせ。



もし友人が予定を変更しなければ

3人で会えなかった。


もし私が23日以降に渡米してたら、

彼女は1人で

日本に帰らなければいけなかった。




さまざまな

偶然が重なり合ったこの日。


友人を1人にさせない

不思議な力が働いたとしか

考えられない。




地元で別れるときに友人は、


「えみりちゃんがいてくれたから

夜も少し眠れたし、

ご飯もちょっと食べれた。

本当にありがとう。」


と、言ってくれた。




友人の心境を思って

わたしもまた泣いてしまった。






精神科医 諸藤(モロフジ)えみりの心のレッスン

精神科医のわたしが日々の思ったこと、感じたことを書いています。

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