誰もが傷ついているだけ



こんにちは、

精神科医の諸藤えみりです。



今日は

「相手を知ることで

排他的な気持ちが収まる。」

という話をします。



相手のことを知らないから

排除したくなる。

そんなわたしの話です。




診察していると

様々な方にお会いします。



たとえば

会話のキャッチボールが

難しい方です。


このような方のお話は

迂遠です。


長時間、

自分だけが延々と話し

周りの話を聞こうとしません。



この場合、

診察は傾聴のみになります。

わたしは傾聴するものの、

あまりにも話が長いと疲弊します。


わたしから相手への交流は一切なく、

相手からわたしへの

一方的な

コミュニケーションだからです。




また、怒りをこちらに

ぶつける人もいます。


「これを言ったら

相手は傷つくだろうな。」

がない人がいるのです。


容赦ない言葉に

心を抉られたことは多々あります。


「患者さんだから仕方ない。」

と割り切ろうとしても、

心の傷は残ります。




繰り返すうちに、

「相手の気持ちを

考えられない方々の

診察をもうしたくない。」

と感じるようになりました。


排他的になってしまったのです。



このままでは普段の診療に

影響が出ると考え、

上司に相談しました。





上司は教えてくれました。

「あのね、

他人の気持ちが分からない人は、

いつも主語が

『わたしは』『僕は』だけなの。


『あなたは』とか

第三者が主語になることはない。

だから

他人の気持ちが分からない。


それにね、

このようなの方は

固執することも多いよね。

物だったり

何かの手順だったり。

執着とも言えるかな。


側から見れば

『もっといい方法があるのに』

と思う。


でも、

どんなに不都合でも

彼らにとって毎回同じ手順が安心。


他にもっといいやり方が

あるなんて知らないし、

知りたくもない。


なんで知りたくないのかというと、

これ以上傷つきたくないから。


今の守られた環境から

出たくないんだよ。


コミュニケーションもそう。

すでに傷ついているから

他の人のことを考えられない。


もっと人と深く繋がれる

コミュニケーション方法があるのに、

やらない。

一方的な交流に固執する。


変わりたくないんだよね。

今までこうやって

自分を守ってきたから。」





上司の話を聞いて、

相手の気持ちを考えることが

難しい方たちの

カルテを見直しました。



生育歴、現病歴を読むと

両親の不仲、

父親からの暴力、

いじめ、

貧困など、

散々たるものでした。

何とも言えない気持ちになりました。



怒りをぶつける人は

幼少期に親に言われて傷ついた言葉を

言っているのだと思います。

やられたことをやっているのです。




でも

自分が傷ついたから

相手も傷つけてもいいわけでは

ありません。


心にもないことを言われたら

「やめてください。」

と、わたしは伝えています。






誰もが傷ついているだけ。

こう思うと、

自分が理解できない人を

排除したい気持ちが収まります。


ただ、

「この人は傷ついているんだな。」

と認めることができる。




次に

このような方々が外来に来られたら、

違った目線で診察をできそうです。


ネガティブな感情を

持ち込まずに対峙する。



きっと、できる。







精神科医 諸藤(モロフジ)えみりの心のレッスン

精神科医のわたしが日々の思ったこと、感じたことを書いています。

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