誰もが傷ついているだけ
こんにちは、
ドクターかよです。
今日は
「相手を知ることで
排他的な気持ちが収まる。」
という話をします。
相手のことを知らないから
排除したくなる。
そんな私の話です。
発達障害で
会話のキャッチボールが難しい方が
たまにいらっしゃいます。
このような場合、
相手の話は迂遠。
独自の考えにこだわり
私の話をなかなか聞いてくれない。
私はただ傾聴しています。
情緒的な交流がなく、
診察が一方方向になる。
かと思いきや、
そこ?!
というポイントで
私の話を取り入れてくれたりします。
このような方の外来は
ちょっと疲れる。
その中でも
私が1番恐れていることは
怒りをぶつけられることです。
「これを言ったら
相手は傷つくだろうな。」
がない人がいる。
容赦ない言葉に
心を抉られたことは多々あります。
なんで
相手の気持ちを考えないのだろう。
「特性だから仕方ない。」
で片付けられてもこっちは困る。
「もう二度と診察したくない!!
絶対に許さん!!」
と、プリプリしながら
上司に愚痴りました。
上司は教えてくれました。
「あのね、
他人の気持ちが分からない人は、
いつも主語が
『私は』『僕は』だけなの。
『あなたは』とか
第三者が主語になることはない。
だから
他人の気持ちが分からない。
それにね、
発達障害の方は
固執することも多いよね。
それは物だったり
何かの手順だったり。
執着とも言えるかな。
側から見れば
『もっといい方法があるのに』
と思う。
でも、
どんなに不都合でも
彼らにとって毎回同じ手順が安心。
他にもっといいやり方が
あるなんて知らないし、
知りたくもない。
なんで知りたくないのかというと、
これ以上傷つきたくないから。
既に傷ついているから
他の人のことを考えられないし、
今の守られた環境から
出たくない。」
上司の話を聞いて、
相手の気持ちを考えることが難しい方の
カルテを見直した。
生育歴、現病歴を読むと
両親の不仲、
父親からの暴力、
いじめ、
貧困など、
散々たるものだった。
何とも言えない気持ちになった。
この方が幼少期、
親に言われて傷ついた言葉を
今言っているのだと思う。
やられたことを
やっている。
でも
自分が傷ついたから
相手を傷つけてもいいわけではない。
心にもないことを言われたら
「やめてください」
と、私は伝えている。
誰もが傷ついているだけ。
こう思うと、
自分が理解できない人を
排除したい気持ちが収まる。
好きになる必要はない。
ただ、
「この人は傷ついているんだな。」
と認める。
もしまた
この方が外来に来られたら、
違った目線で診察をする。
ネガティブな感情を持ち込まずに
この方と対峙する。
きっと、できる。
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