勉強ができるからわたしは存在していい
こんにちは、
精神科医の諸藤えみりです。
わたしの外来に
20代の女性が訪れました。
(特定されないよう配慮しています。)
大学で疲れてしまったようです。
一通り話を終えて、
最後に
「これは誰にも
言ったことがないのですが…」
と教えてくれました。
「わたし、大学受験に落ちたことを
いまだに引きずってるんです。」
この方は
小中高と成績優秀でトップでした。
彼女には行きたい大学がありました。
2 浪しましたが、不合格でした。
仕方なく今の大学に入学したものの
モヤモヤすると言われます。
今の大学も十分優秀です。
しかし、未練が残る。
わたしは言います。
「努力が実らなかった
悔しさはあると思います。
お話を聞いて
わたしはもう一つ感じました。
○○さんは、
小さい頃から成績優秀だった。
そのような方は、
勉強ができることが
自分の存在価値みたいに
捉えてしまう。
必死に受験勉強したけれど、
結果は不合格だった。
志望大学から
○○さん自身を否定されたように
感じたのではないですか?」
その方は驚き、
「そうなんです!
今まで勉強一筋で、
ほかは後回しにしてきました。
わたしのすべてを注いだのに、
不合格だった。
わたしをダメだと
言われた気がしました。」
わたしは言います。
「テストの点数は
足りなかったかもしれない。
でも、
○○さんの否定ではないです。
それは違います。
不合格と人格の否定を
切り離さないといけません。」
続く
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