何気なく言われた一言を忘れられない
こんにちは、
精神科医の諸藤えみりです。
今日は
「他人からの悪意のない、
ささいな一言に傷つくとき。」
というお話です。
なぜ傷つくのか。
自分で自分を
責めているからです。
わたしは過去に
職場の先輩に言われた、
忘れられない一言があります。
わたしが主治医の患者さんの
経過がよくありません。
あの手この手を尽くしていますが、
上手くいきません。
先輩に何気なく言われました。
「主治医の治療方針が
良くないからだ。」
ショックでした。
わたしは必死に考えて
薬物調整をしているのに。
一言が
心にグサリと突き刺ささります。
糾弾されたと思いました。
「なんでアンタにそんなこと
言われなきゃいけないの?
無視しよ無視。」
もしくは
「アドバイスをもらおう。」
と、健全に捉えられる人が
羨ましい。
わたしは自尊心が傷つきます。
傷ついたときは
次のことに注意することが大切です。
相手が発した言葉は、
相手にとって
「ささいなこと」
だから発せられたということです。
相手はささいなことだと
思っているので
何気なく発言します。
相手の発言で
傷つくのは自分自身の問題です。
この先輩は
自分の患者さんが
良くなろうが悪くなろうが
淡々と仕事をします。
客観的な意見として、
わたしの治療方針や処方を
指摘しただけ。
先輩にとっては
取るに足らない一言です。
先輩自身が同じことを言われても
何も感じないはずです。
けれども
わたしは過剰に反応します。
なぜなら
「患者さんが良くならないのは
すべてわたしの責任だ。
わたしが悪い。」
と、考えているからです。
患者さんが良くならないのは
・患者さん自身の問題
(生い立ちや性格、病状、環境など)
・主治医の問題
・処方の問題
など、複雑に絡み合っています。
しかし、わたしは
すべての原因はわたしにあると
思い込んでいました。
患者さんが良くならないのは
わたしのせい。
わたしが悪い。
ずっと自分を責めていました。
自分で自分を責めているから、
先輩の一言に
「責められた。」
と感じます。
他人からも責められると
耐えられません。
言葉はその人の価値観を通じて
心に達します。
言った本人はどうでもいいこと。
でも、言われた側は
深く傷つくときがあります。
相手の何気ない一言、
悪気のない一言に傷ついたときは
「なぜ自分は傷ついたのか。」
を考えてみてください。
自分にどんな思い込みがあるのかを
知ることができます。
今回のケースで、
わたしは
「患者さんが良くならないのは
すべてがすべて私の責任ではない。」
と考え直しました。
自分を責めることが減り
楽になりました。
苦しいときは
自分の中にどんな価値観があるのか
探ってみてくださいね。
0コメント