尽くすことでしか生きられない



​こんにちは。

ドクターかよです。




他人に尽くすことでしか

生きられない方がいます。



なぜか。



「尽くす」

という行動でしか

自分を証明できないからです。





「共依存」

という言葉があります。




依存症者に必要とされることに

存在価値を見いだし、

依存を維持している

人間関係のことを言います。




恋愛関係、友人関係、親子関係など

人間関係全般に現れます。




もともとは

アルコール依存症の夫を支える

妻の状態から

名付けられました。




妻自身もアルコール依存症の夫に

悩んでいます。



しかし、

夫のお酒の不始末を

尻ぬぐいするのです。




特徴としては


・お酒が原因の本人の借金を

肩代わりする。


・夫が酔って迷惑をかけた相手に

代わりに謝る。弁償する。


・二日酔いの朝に妻が会社に電話して

「風邪で休みます」と隠す。


などです。



これだと

本人がアルコール問題に

直面しません。




妻の行動が

「飲める環境」

を助長しているのです。




夫は

他者から面と向かって

責任を追及されたり

非難されたりしないので、

飲酒を続けます。




この場合の妻は

「夫に治ってほしい。」

と言いながら、

心の奥底では

「治ってほしくない。」

と思っています。




なぜなら、

夫に尽くすことでしか

自分の存在意義を感じられない

からです。




夫の尻ぬぐいをしているときに

自分の存在意義を感じる。


「人の役に立っている。」

と思う。




夫がお酒の問題から

治ってしまったら

自分は必要なくなるのです。

そんなの耐えられない。




何人もの

アルコール依存症の妻の方と

お会いしました。


「次飲んだら離婚する。」

「家を出て行ってもらう。」

と皆さん言いますが、

実行した人は誰もいません。




離れられないのです。

どんなに苦しくても。



離れて1人になってしまうと

自分の生きている意味が

分からなくなるからです。





親子関係でも共依存はあります。



過干渉な母親。

子どもの世話をすることで

自分の存在意義を感じる。


結果、

子どもの自立を邪魔する。



子どもは母親の言うことに従う。

苦しいけれど

家を出て自立する度胸もない。




共依存に陥っている

2人の関係性は

ガチガチに固まっています。




「不本意な満足」

だと私は考えます。




この状況に

満足しているわけではない。

でも、

関係を壊すことはできない。

だから一緒にいる。





共依存に陥っても、

抜け出すことはできます。



しかし、

抜け出すと

「自分の存在意義とは?」

という根本的な問題にぶつかる。




誰にも必要とされない自分。

孤独。


身を引きちぎられるような痛みを

味わわなくてはいけません。




そこで

「あぁ、

私は誰の役にも立たなくていい。

存在しているだけでいいんだ。」

と思えると、

強い。







共依存の2人が診察室に現れる。


私は

「依存とは何か。」

「何のために生きるのか。」

を考えさせられる。






精神科医 諸藤(モロフジ)えみりの心のレッスン

精神科医のわたしが日々の思ったこと、感じたことを書いています。

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