真面目な人は表面的な付き合いしかできない



こんにちは、

精神科医の諸藤えみりです。



過去のわたしは

ものすごーーーく

真面目でした。


今とぜんぜん違う。



なぜ真面目だったかと言うと、

周囲から好感を

持たれたいからです。





わたしが幼少時、

両親は不仲で

家には緊迫感が漂っていました。


特に父親は

瞬間湯沸かし器みたいな人で、

いつどこで

怒り出すか分かりません。


わたしは父の機嫌を

常に気にしていました。



子どもにとって

親の存在は絶対です。


自分を保護してくれる親に

依存しなければ

生きていけません。


つまり、

見捨てられないようにします。




いい子にしていると

親は喜びました。


本当はお手伝いをしたくないけど、

親が喜ぶからする。

わがままを言いたいけれど、

親が困るから言わない。



わがままは

安心できる環境で初めて言えます。


一見何の問題もなさそうな

いい子は、

見捨てられる不安が強いのです。





見捨てられ不安の強い子どもは

真面目な大人になります。


真面目だと

周囲の好意を

期待できるからです。


真面目な大人は

安心感がありません。


安心感がないので

対人関係でいつも緊張します。


真面目という仮面をかぶり

本性を出しません。


甘えたら

周囲の好意を失うと

思っているので、

自分を律して

だらしない自分を出さないのです。



結局、

表面的な付き合いしかできず

淋しさを感じます。




外来をしていると、

過去のわたしと同じような方が

来られるときがあります。


息が詰まるくらい

真面目に生きてきています。



わたし「もう少し

肩の力を抜いていいんですよ。」



患者さん

「力の抜き方が分かりません。」


わたし「ですよね。」



いきなり力を抜けと言われても

分からない。


分かる。

わたしも分からなかった。




わたしの場合は

隠したいダメダメな自分を

出しました。


正確には

余裕がなくなり

隠し通せなくなりました。



しかし、

その方が人と深く

繋がれるようになりました。


真面目の仮面を被っていたわたしは

一歩下がって

線を引いていたので、

相手も

距離を感じていたのでしょうね。


安心した人間関係に

窮屈な真面目さは

必要ありませんでした。





真面目は自分に対して

真面目なのではありません。

親の目や世間に対して

真面目なのです。





精神科医 諸藤(モロフジ)えみりの心のレッスン

精神科医のわたしが日々の思ったこと、感じたことを書いています。

0コメント

  • 1000 / 1000