解離性障害という生き方
こんにちは、
精神科医の諸藤えみりです。
10代、20代の解離性障害の方を見て
私が思うことを書きます。
↑解離性障害についてはこちら
解離性障害には
さまざまな症状があります。
その中でも
声が出なくなったり
歩けなくなったり
する方がいます。
こうなると
家族は本人の世話を
しなくてはいけません。
声が出ないから
家族はいつもより構います。
歩けないから介助もします。
本人は無意識に
周りを振り回しているのです。
「こんな私でも愛してくれる?」
と、相手を試し続けています。
私も他者からの愛が
欲しいときがあります。
でも、
愛を取りにはいきません。
愛されたいな、さみしいな、
で終わり。
解離性障害の方々は
愛がない状態に耐えれられません。
常に周りから愛を求めます。
自分を満タンに
満たしてほしいのです。
でも、それは難しい。
大きなタライに
水を1滴1滴落として満たすくらい
途方がない。
家族だけではありません。
医療スタッフを
振り回すこともあります。
もちろん私も振り回されます。
イライラしちゃダメだけど
イライラします。
「その茶番、必要?」
とも思ってしまいます。
こんなときは
「この方は
『解離性障害という
生き方をしてるんだな。』」
と思うようにしています。
傷ついた自分を守るために
この生き方を選択しているのです。
彼女たちの生き方は
正しい生き方では
ないのかもしれません。
でも、
「もっとこうしたらいいのに。」
とは言うことは
私の価値観の
押し付けになります。
私はただ彼女たちの生き方を
否定せず見つめています。
相手を批判したくなったとき
「この方はこういう生き方を
しているんだな。」
と思うようにしている。
誰もが愛されたい。
愛されたいから
その生き方を選択している。
でも、
愛とは相手からもらうものではなく
自分から湧き出てくるもの。
本当は愛を求めなくていいし、
取りに行かなくてもいい。
なぜなら、すでに自分にあるから。
ないと思うから
他人からもらおうとする。
他者からの愛を欲しくなったとき、
私は
「愛とはもらうものではなく、
自分から湧き出るもの」
と自分に言い聞かせている。
0コメント