欲がなくなり僧侶のようになった私の話



こんにちは、

精神科医の諸藤えみりです。



「ある」

に目を向けたら欲がなくなり、

僧侶のようになってしまった

私の話です。





元々

私は物欲が強いです。


その私は去年、

金の亡者に憑りつかれてる?

ってくらい

「あれが欲しい」

「これが欲しい」

と目が¥マークになっていました。




(↑こんな可愛いオバケなら

ウェルカム❤)



バッグやら靴やら

とりあえず何でも欲しい。



「薄味の幸せですよ。」

と、偉そうなことを言いながら

ぜんぜんできてませんでした。



↑薄味の幸せについてはこちら。



欲しくて欲しくてたまらないときって

精神衛生上よくないです。

めっちゃ苦しい。



欲しがれば欲しがるほど

飢餓感が膨らみます。




「あ、これ、

ガチでよくないやつ。」

と気づいてからは

あるものに

目を向けるようにしました。



お風呂に入れる。

ベッドで眠れる。

今すでに持っているバッグを

寵愛する。


などをしていたら、

飢餓感は収まりました。


満たされていることに

気づきました。



ここまではよかったんですよ、

ここまでは。



続けていると欲しいものがなくなって

ブッダ顔負けの

達観した僧侶みたいに

なったんです。



僧侶ならいいんですけど

意欲もなく

うつっぽくなっちゃって、

一体どうしたものかと

考えていました。



恩師にさり気なく

聞いてみました。




恩師は言います。


「それ、普通。

うつになるっていうか、

欲が減るだけ。


しばらくそのままでいると

また

『ああしたいな』

『こうしたいな』

が出てきますよ。


それまでは放っておくこと。


人って

悩みたくないと思いながら

悩みたいんですよ。


波立っている状態がずっと続くと、

それに慣れて

波がない状態が不安になる。


いいことも悪いことも

波立つことに慣れてしまうと

穏やかでいることに

不安になるんです。


えみりさんの場合

今までは「欲しい」がベースでした。


それがなくなったから

戸惑っているだけ。


本当にこれでいいのかな?

ってなっているだけです。


病気とかケガもそう。


いつも痛みがあるのに、

ある日朝起きたら

痛みがなくなっているとします。

喜べばいいのに

『痛みがない!おかしい!』

って言うじゃないですか。


それと同じ。


穏やかな状態に慣れていないだけで

うつとは違いますよ。」





これを聞いて、

なるほどなぁと思いました。



穏やかになると不安になる。

だから

「うつっぽくなって大変だ!」

と、わざわざ問題を探してしまう。




今回の件もそうですけど、

私は悩むのが

デフォルトになりすぎています。



悩みがなくなると

おかしいと感じ、

問題を探してしまいます。



毎日が

悩みを解決するという

ルーティーンになっているのです。



こうなると

常に何か問題を

抱えていなければいけなくなります。



穏やかであることを

自分に

許してあげないといけないですね。





恩師の話を聞き、

自分を放っておいています。

~僧侶モード継続中~



相変わらず

欲しいものは出てきませんが、

穏やかに過ごせています✌🏻





精神科医 諸藤(モロフジ)えみりの心のレッスン

精神科医のわたしが日々の思ったこと、感じたことを書いています。

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