冷静さと情熱のバランス



こんにちは、

精神科医の諸藤えみりです。



今日は外来で

わたしが思ったことです。


「冷静さと情熱、

この2つを両立させることは可能か」

という話です。




わたしの外来に来られている

学生さんがいます。

(特定されないよう配慮しています。)


この方、

大幅に予約時間に遅れます。


この方のご家族の機能は脆弱なので

「時間を守れなくても

仕方がないのかな。」

と、思っていました。



わたしが頑張れば何とかなるので

時間をやりくりして

診察していました。


治療に繋がっていてほしいから、

良くなってほしいから、

こちらが無理をしていました。



しかし

「時間に遅れても

診察してもらえる。」

と思ったのか、

遅刻が常習化してきました。


時間が狂うと

ほかの患者さんたちにも

影響が出ます。


詳細は省きますが

病院のスタッフさんたちにも

しわ寄せが出始めました。



このままではよくないので

時間を守れないときは

予約を取り直してもらうことに

しました。



しかし

わたしの心はスッキリしません。

相手に時間を守ってもらうことに

なぜか罪悪感が出ます。


なぜ罪悪感が出るのかというと、

この方に対する

わたしの治療意欲が

下がっていたからです。





この方の治療は

年単位で膠着状態です。


こちらが必死に

あの手この手でアプローチしても

変わりませんでした。

「どうせ頑張っても意味はない」

とやる気を失っていた自分に気づき、

ゾッとしました。



この状態で

今までしていたこと

(時間に遅れても診察すること)を

しなくなることは、

この方を良くすることを

諦めたのではないか、

見捨てることになるのではないか、

と思ったのです。



わたしが1番恐れていたことは

わたし自身が患者さんに

情熱をもって

診察できなくなることでした。



この方に情熱をもって

接せなくなるのが淋しい。

以前のようなモチベーションで

診察できないのが悲しい。




患者さんに良くなってほしい。

でも良くならない。

わたしの心が折れそう。

この場合、

どうやってモチベーションを

保てばいいのだろう。







わたしの「良くなってほしい」とは、

「わたしがいいと思っている状態に

患者さんを変える」

ことです。



わたしの正義を押し付けています。

相手は今の状態に

満足しているかもしれません。

親の手前、

病院に来ているだけで

変化を望んでいないかもしれません。



わたしの考えを相手に伝えて終わり。

変わるかどうかは相手が決めること。

結果を求めない。

良くしようとしない。


相手が変わるのは

10年後かもしれない。

そこまで待つ。




と考えればいいのは

頭では分かります。


分かるのですが、

やっぱり

「良くなってほしい。」

「幸せになってほしい。」

とわたしの勝手な願いが出てきます。



淡々と冷静に診察すべきだとは

分かっている。

でも、本当は情熱を注ぎたい。



冷静さと情熱のバランスが分からず

上司に相談しました。



次回に続く。




精神科医 諸藤(モロフジ)えみりの心のレッスン

精神科医のわたしが日々の思ったこと、感じたことを書いています。

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