情熱が去ったあとに
こんにちは、
精神科医の諸藤えみりです。
前回のブログの続きです。
上司は言います。
「まずね、『冷静さと情熱』。
これはとてもいい質問。
僕も若いときに仲間たちと
議論してた。
ここにいたらない
精神科医もたくさいるから、
えみり先生はやっぱりセンスいいよ。
で、問題の情熱。
分かりやすいのは童話の
『北風と太陽』かな。
精神科治療で必要なのは
太陽なの。
見えない心というものと
向き合うとき、
旅人の主体性が1番大事なんだよ。
北風のように情熱を持って
力づくで何とかしようとしてもダメ。
パターナリズムでは
うまくいかない。」
(褒められて嬉しかったので
上司のお言葉をノーカットで
お送りしております。)
上司は続けます。
「情熱は自分のためだよね。
情熱は趣味や自分に注ぐの。
人に注いではいけない。
情熱は自分から相手への一方方向。
情熱を注ぎすぎるのは
コントロールになるからね。
安定する距離感があるの。
それは情熱を注ぐ距離感ではない。
よく共依存の親子がいるじゃない。
親は良かれと思って
子どもに口を出す。
でも実際は口を出されることで
子どもは何も言えない。
僕は『罪なき過干渉』と読んでる。
親は子どものためを思って
やってるんだよ。
でもそれじゃうまくいかない。
先生なら分かるでしょ?
それにね、
『こうなってほしい』
という期待は
こちらの価値観を押し付けている。
えみり先生にとっての『いい』は、
えみり先生自身が
経験したストーリーで
地球上の人類70億分の1なのよ。
皆が皆そうじゃない。
いろんな人の基準があるからさ。
えみり先生は
自分を基準に考えるから
『これだけ教えてるんだから
もっとしっかりやってよ!』
とリターンを求めている。
『自分だったらこうなのに』
っていうのが強いんだよね。
だから相手が変わってくれないと
がっかりする。
でも、それをやればやるほど
他の人も
『わたしだったらこうなのに。』
ってなっちゃう。
やる気になってほしいのに、
絶対にやる気にならないやつが
出てくるわけよ。
ここまで考えて出てくるのが
『放っておく』。
この『放っておく』は
何もしないということではないよ。
相手の意志を尊重するの。
これが安定する距離感。
高等テクニックだよ。」
恥ずかしい。
わたしは良かれと思って
北風どころか
台風で嵐を起こそうとしていました。
わたしはふと気づきました。
「あの、先生は
患者さんを良くしようとは
考えないのですか?」
上司
「そうだね、
良くしようとは思わないかな。
『一応教えるけど、
やる気になったらやれば。』
にしている。
放っといた方が
やる気が出るんだよね。
僕も昔は皆良くなってほしいと
思ってた。
ぜんぜんうまくいかなかった。
今は種植えてるだけなの。
その種を育てるかどうかは
その人次第。
すぐ芽を出す人もいるし、
何十年も経ってから
芽を出す人もいる。
10年経って
『あの時のことが
初めてわかりました。』
っ言う人もいるよ。
モチベーションの件だけど、
医者だって生ものだし
モチベーションは
揺れて当たり前だよ。
スポーツ選手だって
モチベーションがどうだこうだって
言ってるじゃない。
じゃあ、
モチベーションが低いときでも
できることを考えたほうがいい。」
わたし
「………(黙り込む。)」
上司、あなたは天才ですか??
人生2周目なんじゃないですか??
今までのわたしの診察のベクトルは
わたしから患者さんへの
外向きのベクトルでした。
患者さんを何とかしたかったんです。
上司の話を聞き、
ベクトルの方向を変えようと
思いました。
患者さんからわたしへと
ベクトルの方向を内向きにする。
つまり
患者さんの話を聞くことに
シフトします。
モチベーションに関係なく
これならできるます。
思春期外来をしていると、
親子であっても
表面上の付き合いで
子どもの話を聞いていない
家庭が多いです。
そんな方は
自分の話を聞いてもらえる
安心の環境が
1番大切だったと思い出しました。
目の前の方と真摯に向き合う。
それは情熱を注ぐことではない。
「わたしはあなたのお話を聞きますよ。」
ということであり、
コントロールすることでは
ありませんでした。
相手にわたしの期待を押し付けない。
情熱という嵐が
わたしの中から去った。
訪れたのは静寂。
静けさの中でお話をする。
いつもより
あなたの声がよく聞こえる。
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